秋冬の余暇

このくらいの時期から春まで仕事が忙しくなって、余暇の使い方が下手になる。忙しい時ほど余暇を活用して気分転換したほうが良いし、なにより下手なままだともったいないから、去年は月ごとに余暇のテーマを決めてしまった。9月は読書、10月は展覧会、11月は絵描き、12月は映画鑑賞という風に。せっかくの余暇だから気分で好きなことすれば良いのにと誰かに言われそうだけど、これが意外と性に合っていた。読書がテーマの月なんて、少し時間ができれば迷わず本を取り出していた。

元から好奇心が多く、何をしようかと考えているだけで時間が過ぎていくような人間なので、決まったテーマがあるだけで検討時間を省略でき、やることにたっぷり時間を使える。それに、日々多すぎる選択肢から取捨選択することを繰り返しているからか、制限があることは悪くなかった、むしろラクでよかった。

わたしは長い間なんとなく、余暇とは有り余った時間のことだと思っており、有り余るというくらいたくさん時間がある状態を想像していた。余暇という言葉の大人っぽい字面もやわらかな響きも好きなのだけれど、わたしには余暇と呼べるほどの時間がないと思っていた。ところが日本国語大辞典によれば、余暇とは仕事の間のひま、仕事のないあまっている時間らしい。そのことを知った時、何が変わるわけでもないのに、なんだか良い気分になった。普段使わない鞄から紙幣が出てきた時のような、そんな感じだ。

今年の秋冬の余暇のテーマはまだ決めていない。もう9月も始まったというのにのんきなものだ。積読も溜まっているし、観に行きたい美術展もあるし、インプットだけではバランスが取れないからアウトプットも欲しいし、と考えていると去年と大差ないテーマになりそうでおもしろくないが、いくつもテーマを決めたところで上手くやりくりできないので仕方がない。うーん、そうこうしているうちに9月が終わる気がしてきた。そうなったら10月から運用することにしよう、これくらいのルーズさ、もとい余りが必要なのかもしれない。